■■■建築に生きる 第2回 建築家=指揮者■■■
2023.06.23
第2回 建築家=指揮者
建築家は指揮者たれ
子供の頃よりヴァイオリンを習い、大学オケで交響曲を、サンパウロ以降は室内楽を楽しんできた。無伴奏ソナタや弦楽四重奏は自演だが交響曲や歌劇では指揮者が多くの奏者や演者をまとめ上げることで一つの芸術が完成する。がしかし、指揮者は楽器の達人では必ずしもない。 建築は実に多くの要素が複雑に絡み合って完成する点において、歌劇のような存在であり、それをまとめる建築家は指揮者に似た存在である。常勤の構造家や設備家に加え外構、照明、音響、色彩、家具、インテリアなど様々な分野のデザイナーやスペシャリストなどとの協演も楽しみだ。工法や建材が高度化したことで、施工者やメーカーとの協働も必須になった。音楽の楽譜にあたる設計図書もデジタル化が進み、CG、CAD、BIM、3DプリンターなどAI系専門家たちとの協力も不可欠だ。多くの指揮者の元で演奏をしてきた私だが、建築の場では私が指揮者にならなければならない。
都市は劇場なり
大学では都市工学科に学んだ。故丹下健三先生が創設に情熱を注がれた新しい学問分野だ。建築学科と土木学科を合体したとも言われるが、衛生工学分野が包含されており今日の環境問題を先取りしていた。
そんな新学科ではコンクリート強度とギリシャの都市空間を同時に学び、実験室では水質汚染基準のBOD値を計測した。都市が人間を主人公とする劇場であり、すぐれた歌劇が指揮者の器量に依るように、豊穣なる都市は建築家の技量に左右されることを学んだ。
ただし都市という劇場に登場する役者は夥しい数である。指揮者が全ての楽器の達人たり得ないように、建築家が都市の構成要素の全てに秀でることなどあり得ない。でも、大舞台を指揮する喜び同様、都市に関わる喜びもまた格別である。 全国に無数の都市=劇場があり、それら無数の劇場が建築家を必要としている。まちづくりに参加することは、建築家の天職なのだ。
建築は団体競技
建築家は孤独とは無縁、常に多くの関係者に囲まれて仕事をしている。私は中学高校は野球部、大学はオーケストラ部に所属し常に大勢の仲間たちと一つの目標に向かって苦楽を共にしてきた。
野球は典型的な団体競技だし、オーケストラも菅・弦・打の各パートが融合する集団技だ。なので団体競技の経験者が指揮者にも建築家にも向いているように私には思える。文化祭、体育祭、音楽祭に興じた私は、都市=劇場に舞台を移して建築家として生きている。
もちろん陸上や水泳などの個人競技で人間の能力の限界を競う姿に一喜一憂するし、ショパンのピアノソナタを奏でるひとりのピアニストにも感動する。建築の世界に個人競技的なパフォーマンスで名を成すスター建築家もたくさん居るのだが、都市という大きな舞台の演出は、ひとりの才能よりもチームの総合力に期待したい。南條設計室はそんな建築家集団を目指している。
記・南條洋雄
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