■■■建築に生きる 第11回 建築家は芸術家か■■■

2023.10.27

第11回 建築家は芸術家か


芸術家とは?

芸術作品を創造し、また、表現する人。詩人、美術家、音楽家の類。」が広辞苑検索結果だ。次に「芸術」を検索してみる。「一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある。」とあった。
たしかに「建築」という言葉がある。「鑑賞的価値を創出する・・」と「視覚にまつわる・・」が建築が芸術か否かの判断基準のようだ。
半世紀も建築の仕事をして来たが、機能性や居心地などは必ず求められるが「鑑賞的価値の創出」を求められたことはない。いや、むしろ「あまり目立たない建物」にして欲しいと言われることの方が多いのは、私の場合だけであろうか?
大学で造形演習という科目があり、岡本太郎氏の授業を受けたが、氏はまぎれもなく芸術家だった。


芸術を学ぶ学校

その岡本太郎の経歴をみると東京美術学校(今の東京芸術大学美術学部の前身)中退とある。パブロ・ピカソもバルセロナなどの美術学校で学んだとあるので、芸術家も基本は学校で学ぶものなのだろう。
私が大学受験を意識し始めた頃、既に「建築」を志す意思があった。丹下健三という「建築家」の存在を新聞やテレビで知ったからなのだが、それ故に志望校が丹下先生の居る東京大学、しかも工学部建築学科になったわけだが、芸術を学ぶなどという意識は無かった。
早稲田大学理工学部建築学科も受験したので「デッサン」が受験科目であることに意識はあったが、東京大学は「理科一類」受験であったから「芸術」とはかけ離れた認識だった。
思えば日本の多くの「建築を教える学校」が工学部理工学部に所属していることから結論づければ、我が国で「建築」という概念が、広辞苑の定義にある「鑑賞的価値の創出」にあるのではなく、「工学」の範疇にあるのはあきらかだ。


建築と芸術の違い

私が「建築家」だという自意識はブラジル人建築家との交流や、日本建築家協会(JIA)での活動を通じて定着してきた。私は「芸術家」ではなく自称「建築家」だ。
私は「建築」と「芸術」の決定的な違いをある言い方で説明することが多い。「建築は依頼されてつくるもの、芸術は自らの意思で作るもの」という識別だ。
王侯から依頼され作曲したり、富豪から依頼され製作された壁画など承知するが、その音楽家や彫刻家なども最初は自分で勝手に黙々と創作を続けていたに違いない。ところが建築は一般的に作者が先行して創作することは財力的に不可能だから、仕事は頼まれてから着手する。今流な言い方をすれば、典型的な「受注産業」なのだ。
この「建築と芸術の違い」は非常に複雑なテーマであり拙速に結論づけることはできない。依頼者と受託者との関係論でもあり、これから掘り下げて展開したい「建築論」であり、本稿はその第一弾である。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考