■■■建築に生きる 第12回 建築家も地震と戦う■■■
2023.11.10
第12回 建築家も地震と戦う
安全か美観か
私は関東大震災(1923年9月1日)は知らぬ世代。1950年制定の現行建築基準法は宮城県沖地震(1978年6月12日)被害を受けて改正された新耐震基準となった。阪神・淡路大震災(1995年1月17日)は南條設計室の所長として鮮明に記憶しているし、東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)ではかなりの被害を体験した。
建物の安全性は何にも増して大切である。だが過去の大震災被害をみると、建物の倒壊とは別に火災、土砂崩壊、津波、さらには暴動・略奪など、防災は工学の範疇を超えて人間社会持続の知恵だと思い知る。
被災直後のマスコミ報道で決まって登場する議論に「美観論争」がある。「ビルや橋を美しく着飾ったりライトアップなんてするお金があるのなら、もっと柱を太くして地震に備えるべし」的な主張である。
大震災が起きる度に建物の美観や芸術性追求を邪道と叫ぶ声が元気を得る。そんな単純な二択の議論に関わる気力もないが、我が国社会の文化度指標がその辺にあることは悲しい。
構造家と組む
建築家と建築士の違いは前述したが、構造家と構造技師にも概念的相違がある。私は構造家との議論が大好きだ。やはり建築は実用の構築物であり、構造美は建築美の基本、音楽で言えば通奏低音だと信じる。
私が最初に就職したRIAの山口文象先生は構造家の織本匠先生を信頼されていた。その影響か、私も織本構造に構造を担当してもらうことが多い。同世代で「外科医的建築家」と自称する今川憲英さんとも仲良しだ。
私は構造家に計算力よりも提案力を期待する。どんな未解決な建築計画でもそれを解決してくれるタイプ、そんな構造家は好きではない。計画の内容まで遡って、私と一緒に工夫して新たな提案を導いてくれる構造家がうれしい。
姉歯事件が日本の建築界を破壊した記憶はまだ新しい。全国の老若男女が姉歯建築士の存在を知ったようだ。皮肉にも我が国で一番名前を知られた建築士だ。信用できない建築士、地震で倒壊する建物の設計者。日本の建築界が地に落ちた瞬間だった。
耐震補強のススメ
姉歯事件は建築士法改正など一部に悪行を残したが早々に収束した。安全性一辺倒ではなく、街並み景観や地球環境への配慮も優先順位を上げつつある。世の中が一気にSDGs志向へと再編されたのだった。
石造り建築を伝統とする欧米都市では、歴史市街地などで建物の解体・新築は文化的にも法的にも厳しく規制され、古い建物を改修再利用していくが、我が国の近代建築は寿命2〜30年で建替されることが多い。 南條設計室では古い建物のリノベーションに積極的に関わってきたことを前述したが、耐震力不足を「耐震補強」で乗り越え、保存再生するプロジェクトにも成果をだしている。永田町の塩崎ビルでは先述の今川さんと鋼製の特殊フレームでデザインにも配慮した耐震壁補強を成功させた。築50年もの古いビルでも耐震補強で工夫すれば、さらに半世紀は使用できる。こうして地球環境にも配慮すること、これぞ建築家の職能なのだ。
記・南條洋雄
■第1回 建築を愛しなさい■第2回 建築家=指揮者
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か