■■■建築に生きる 第15回 建築家という生業■■■

2023.12.22

第15回 建築家という生業


修行と丁稚奉公

あの小沢征爾の師匠は桐朋学園の齋藤秀雄だ。建築家の多くも偉大な師匠の下で修行してきた。丹下健三はル・コルビジェに学び、私の恩師大谷幸夫はその丹下健三に学んだ。
修行というと落語家の丁稚奉公が思い浮かぶ。北野タケシの弟子たちも修行に明け暮れ、ほんの一握りがデビューしていく。修行中の身分はきわめて不透明で少なくとも雇用関係にはなく、さりとて月謝を納める学生でもない。
器楽やスポーツの世界ではデビューの若年化が進み、幼少期から優秀な師匠の下で英才教育を受けている。
さて建築の世界では大学卒業後から修行が始まる。それは就職であり雇用関係なのであるが、依然として丁稚奉公的な場面が多い。大学を出ても実務面での業務の処理能力は低く、授業料を会社に払え!的な力関係が見え隠れするのも事実だ。良い師匠の元に有望な新人が入門するように、南條設計室にも自立独立を夢見て若者たちは修行を続けている。


担当力と受注力

建築家は自身の作品の出来栄えに対して優劣評価を受ける。しかし修行中の身分で自らの作品を発表する場面は少ないから、チームの担当として設計に従事し修行を続ける。
やがて上司やクライアントに腕前を認められると、独立し、自分の作品を世に問いたくなるのだが、前述のとおり受注産業たる設計業界では、いくら腕前が良くても受注なくして作品は誕生しない。
担当という身分で設計能力に自信をもったはずの若者は、受注という壁の洗礼をうけることになる。かくして多くの建築家の処女作が自分の親や親戚の家となる。
処女作が受賞し華々しくデビューしたとしても、事務所を維持するには、受注という荒波を乗り越えていかねばならない。担当としての能力とは別に受注という能力が問われるのだが、大学でその部分は教えないし、若き情熱は良い作品へと駆り立てることはあっても、受注の重要性には眼を閉じる傾向がある。


生業としての南條設計室

建設業界の人手不足が社会的課題とされて久しい。設計業界、とりわけアトリエ系事務所の人材難は深刻である。設計事務所という業態は長年にわたって、過酷な勤務低賃金を解決できずに今日に至ってしまった。
その最大の理由は経済的基盤の脆弱さにあると私は理解している。良い建築を創造する能力さえあれば、生業(なりわい)として成立するかというと、そうではない。受注産業であるから、業務を依頼されなければ能力を発揮する場面もない。
設計能力はあると自負する多くの仲間の間で、受注能力の有無が決定的な差をもたらす。優れた設計能力は受注してから初めて行使するものだからである。
全ての企業に営業部が存在し、建築設計でも組織事務所系では営業力を重視するように、建築家という生業では受注するための能力が極めて重要なのである。優れた建築家は間違いなく優れた受注能力を備え持っているものだ。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!