■■■建築に生きる 第17回 建築家は外交官■■■

2024.01.19

第17回 建築家は外交官


人とは会う

私は人と会うのが好きだ。サンパウロのボス、ジョアキム・ゲデスも良く人と会っていた。約束の設計打合せ時間になっても現れない彼が、大遅刻の末事務所に到着するも、同伴者とのおしゃべりはつきず、打合せを望む私まで誘って夜の会食に出かけるのだった。
白装束の民族服をまとったアフリカからの客人に誠意を込めて対応し、私にサンパウロの街の案内を仕向けるゲデス先生だった。 人と会うということは会話することになる。話題の豊富さや格調は確実に評価につながる。ポーランド映画を語り、82年産のボルドーを絶賛し、アラブ馬をこよなく愛する。師匠ゲデスはそんな建築家だった。
明日の提出に向けて大詰めの作業が最高潮に達する頃、私との作業を中断し、難色を示す私に軽くウィンクして、花束を手に市民劇場に駆けつける彼だった。コンサートのプリマドンナにどうしてもその花束を届けると言う!


情報発信の量と質

建築家の多くは文章の達人でもある。建築作品そのものよりも建築論、都市論、デザイン論、文化論など著作が高く評価されてデビューする建築家も多い。
テレビに登場する建築家も近年増えてきた。それも建築番組ではなく一般の娯楽番組に「建築家」という肩書きで登場する。その走りは70年代にイレブンPMに登場した黒川紀章氏だったと思う。
広告業界では1976年「違いのわかる男」第6代目として清家清先生がネスカフェのコマーシャルに登場した。
2019年71歳で他界された鈴木エドワード氏はトライアスロンやバスケットの達人で、かつ淡麗な容姿のモデルとしても知られていた。
皆さん、情報発信力が際立つ個性的な建築家たちだ。情報発信の量も質も他者とは比べ物にならぬ存在で、そこにメディアや市民社会が注目したのであろう。現代はSNSAIなどが加わった情報社会における建築家の居場所が注目される。


外交の達人

企業社会では営業接待という言葉が頻繁に飛び交う。だが建築家の日常に営業・接待という言葉はあまり馴染まない。むしろ先生と呼ばれ接待を受ける立場であったりもする。
日本の営業の主流はゴルフであったり高級倶楽部であったりするようだが、小生はどちらも全くご縁がない。ブラジルの師匠J・ゲデスが取引先の日本企業から過分な接待を受けて、奇怪だと当惑していた。
冒頭に解説したように彼こそは最高の営業マンなのだが、営業という語感にまるで馴染まない。彼の日常を私の日本語で表現すると最高の外交官となる。以来、南條設計室では営業という言葉を封印して外交という言葉に置き換えたのだった。定期的に外交戦略会議を行っている。
建築家として社会に認知され、期待され、建築を依頼される立場にある為に必要なのは、その期待に応えるためのスキルであり、統括力や組織力であることは当然だが、されど受身ではなく優秀な外交を展開する必要がある。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 街づくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事