■■■建築に生きる 第18回 正月の警鐘■■■

2024.02.02

第18回 正月の警鐘


正月の警鐘

2024年元旦は能登半島のM7.6という強い地震で始まった。大都市圏とは異なり情報も映像もしばらくは少なく、津波退避勧告が過剰反応などという声も聞かれたが、時間と共に震災の根の深さが伝わり、あの警告で即座に逃げて津波から逃れた人々が大勢いたことを知った。そろそろ1ヶ月が経過し半島部でのインフラ被害復興への課題が問題視されはじめている。
本コラムも第18回を数えるが第12回は「建築家も地震と闘う」だった。平時にあって建築家が、そして私が、どのように地震と対峙しているかを語ったのだったが、今、こうして能登半島地震の被災を前にして、為す術もない自分を知る。
合わせて正月2日には羽田空港での日航機全焼事故が続いた。なんという年初めだろうか。海外の多くの友人からも心配と激励のメールが着信しているが、私も「何かが起きつつある」ことを感じ始めている。それは、ウクライナガザでの惨状とは無縁に過ごす日本人への「警告」なのでは?などと考えてしまうのである。


ブラジルの反応

能登半島地震から一週間後にブラジルのテレビ局(TV RECORD) の取材を受けた。
私は1975年〜85年の10年間設計していたブラジルは、建国以来一度も地震の記録が無い国土だ。構造計算で水平耐力は風荷重だけ。ブラジル建築の躯体はなんとも頼りない極細の柱・梁で十分であり、故にあのアクロバティックな造形を特徴とするオスカー・ニーマイヤーの数々の作品群が誕生するわけ。一般住宅であれば20㎝角のRC柱で三階建てを支えるが、かりに水平荷重がかかればひとたまりもない。
収録では、心配するブラジルの視聴者に向け、日本では1981年の法改正以降の新耐震構造であれば、そう簡単には倒壊しないことや、既存建物にブレースを付加して耐震性能を高めていることなどを解説した。
都心部における最近の建築では、タワー建築の柔構造免震構造などにも言及したが、番組の結論としては広い意味での防災対策に終点はないことを強調していた。


復興という長期戦

日が経つにつれ悲惨な被災の実態があきらかになり、復興への険しい道のりが心配される。
日本建築家協会もただちに災害対策本部を立ち上げ、現時点では「応急危険度判定」の担い手として活動している。その先には震災復興という生活の再編のためのまちづくり支援の長期戦が始まる。
私はJIA渋谷地域会の一員として渋谷区防災会議の委員をつとめ、毎年の総合防災訓練にも参加してきた。自らは東京都防災ボランティア登録証を持ち、被災時には応急危険度判定に出動する立場にある。本業の設計で耐震設計に留意することに加え、災害に強いまちづくりの推進役でなければならない。
2日の日航機事故と昨年来の派閥を巡る政治状況とが重なり、国力の衰退を感じるのは私だけだろうか。倒壊した家屋や輪島市の消失した市街に呆然と佇む被災者たちの姿は、ウクライナやガザの戦禍に苦しむ人々と重なる。正月の惨事は、戦争を、災害を、克服できない人類への警告なのだろうか。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官