■■■建築に生きる 第19回 協働・自働・己働■■■ 

2024.02.16

第19回 協働・自働・己働


協働

建築という仕事は、団体競技に似て様々な才能が高度に絡み合って完結する。歌劇や交響曲のように、また映画のように、多くの専門家たちが「協働」するのは必然だ。建築家はこうして多くの優れた「役者」たちと日常から交流する生活を好む。
RIAの山口文象先生は演出家の千田是也と濃厚な交友関係にあられた。当時の先鋭演劇運動と建築運動とが連関する緊張感は、バウハウスの流れなのだろうか。
新首都ブラジリアの建設では、ルシオ・コスタの近代都市計画論とオスカー・ニーマイヤーの造形力の協働を核に、造園のブーレ・マルクス、テキスタイルのブルカォンなど、膨大な専門家たちの協働があって完成したのである。
近代医学が臨床医学に限らず、薬学や予防医学、リハビリ、介護あるいは心理療法など専門職の協働で成り立つのと似て、建築もまた協働で成立する。南條設計室ではそこを重視し、広範な専門家ネットワークを構築している。


自働

日本では多くの建築設計事務所が株式会社であり、建築家も株式会社社長である事が多い。
株式会社は狭義には株主の利益を第一目的に存在するのであり、多くの設計事務所の株主は建築家本人であるから、所員はもっぱら株主であるボスの利益のために働くことになるのだが、社長である建築家も社員であるスタッフも、そのような会社法解釈的な考えは持たない。
建築設計の現場では、社長も社員も設計そのものが目的なのである。良い建築、良い街、良い環境、良い社会を作り上げることが目的なのだ。
誰の為に働くのかと問えば、株主の為でもボスの為でもなく、自らが建築することが好きだから働いている、と答えるであろう。自分の為に働く、そう、「自働」なのだ。
音楽家も画家も、作家も舞踏家も、強いて言えば自分が好きだから、自らの意思で、自分の為に創作に耽るのだろう。南條設計室も株式会社であり、所長南條が株主ではあるが、所員は間違いなく自働している。


己働

自働という言葉は自動と発音が同じだし、aoutomaticと解釈される危険があることから、己(おのれ)の為に働くという意を強調し「己働」という造語が提案された。副所長の野呂信哉のアイデアであったが、私も賛同し創立30周年の所信表明で「南條設計室は己働する集団」と宣言したのだった。
造語なのでパソコンで変換されない不便はあるが、私は「己働」を気に入っている。
己働は、他者への奉仕貢献ではなく、自らの自由を謳歌できるが、同時に、他者、とりわけクライアントや社会に対する責任を負うことを同時に意味する。
組織を維持するための受注や技術開発、人材育成や研修研鑽なども、歯車の一つとしてではなく、己の意思と責任において自発的に極め続けることも意味する。 建築が好きで好きで、誰のためでもなく、己の為に「建築に生きる」同志たちの集団、そんな組織を南條設計室は目指している。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考