■■■建築に生きる 第20回 建築家は二兎を追う■■■

2024.03.01

第20回 建築家は二兎を追う


芸術家か実業家か

二兎を追うものは一兎をも得ず」ということわざがある。辞書によれば「同時に違った二つの事をしようとすれば、結局どちらも成功しないというたとえ」とあるし、私もそう教わりそう信じていた。だから建築一筋に精進せねばならないと信じていた。ブラジルに行くまでは。
ところがブラジルの師匠J・ゲデスは違っていた。サンパウロ州立大学建築都市学科教授まではわかるが、国内生産量第3位の電話ケーブル製造会社の社長であり、数千頭の肉牛飼育とコーヒーも生産する大農場主でもあった。蛇足ながら工場建物も農場施設も当然自ら設計するので、私が担当した。
ある時彼に何が本業なのか、質問してみた。私からみると従業時間が最も長いのは建築であったが、週末はきまって農場だし、収入は圧倒的に製造業社長報酬であり、ちなみに設計事務所の全収入は我々スタッフに配分していたようだ。
彼の回答は全くブレなく”EU SOU ARQUITETO”(私は建築家)であった。


趣味に非ず

私は趣味でヴァイオリンを弾くのだが、サンパウロでもある室内楽団に所属していた。ある日演奏旅行のため恐る恐るボスに三日間の休暇を申請した。叱られる覚悟だったがなぜか彼は歓喜し、以降リサイタルには必ず駆けつけてくれるほどの私の音楽の理解者になってくれた。
彼は私が音楽をやることを建築のマイナス要素ではなく、むしろプラスと捉えたようだ。彼の息子のフランシスコはサンパウロ大学で建築を学びながら、ジャズバンドのサックス奏者でもあり、父ジョアキムは息子のライブでの活躍がご自慢だった。日本でも就職後も文化活動を続ける社員も居るが、あくまでも趣味活動であり週末夜間に活動する。
私の楽団員の過半はプロの演奏家たちで、演奏活動にはスポンサーがつき私も報酬を得ていた。些少な金額ではあったが、趣味に非ず、真剣な文化活動なのであって、建築と同等の取り組み、即ち「二兎を追って」いたのである。


二兎より三兎を追う

この項を書き始めた時、私は「二兎を追う・・」は日本の諺であると信じていたのだが、なんと西洋の言い伝えの翻訳だと知り驚いた。
 if you run after two hares you will catch neither
なのにブラジルでは、少なくとも私の知る多くの建築家たちは、建築以外の活動にも注力するタレントたちであった。そして少なくとも二兎以上を捕獲しているように見えた。
建築とは様々な領域に越境して存在する概念であること、そして今日的グローバル社会での文化の多様性を思えば、複数の兎を同時に追い求める生き方が好ましく見えてくる。ますます加速するデジタル化情報化が拍車をかけるだろう。
思うに、科学技術としての建築工学専門化先鋭化が進み、二兎を追うことは今後もタブーなのかも知れない。しかし、このコラム連載で私論を展開している「建築家」像は、総合芸術家という捉え方であったり、統括監督という立ち位置論なのだから、二兎、いや三兎くらいを追いかける人生が面白そうだ。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考