■■■建築に生きる 第24回 スケッチは楽しい■■■

2024.04.26

第24回 スケッチは楽しい


白木博也先生

中高の美術担当白木博也(2018年没94歳)教諭とお会いしていなければ私が建築の道を歩むことは無かったと断言できる。6年間続いた美術の授業の過半は静物や石膏像のスケッチで、生徒は勝手に鉛筆を走らせ、先生は美術漫談を続ける、そんな授業が魅力的だった。
エジプト古代文明やギリシャ建築、ミケランジェロ、そしてピカソ、コルビジェ、バウハウスなど、面白おかしく独特の解説が続いた。大理石を刻み込む職人には、男性の性器の専門家がいて一生涯刻み続けていたなどという真しやかな解説をいまだに記憶している。
先生は東京芸術大学油絵科御出身の画家であり、退官後も創作を続けられ個展にはいつもお招きいただいた。学友たちの大学受験競争に乗り遅れていた私に「建築家」という職業の魅力を教えてくださったのが白木先生だった。美術の基本であるデッサンを6年間続けたことが、今、どれだけ役にたっていることか、先生に感謝あるのみである。


口でデッサンする

とはいえ、私が身に付けたデッサンは趣味の域を出ず、大学でもデザイン志向の同僚は少なく、デッサン力など稚拙なまま設計事務所に就職したのだった。
デッサン力の非力を痛感したのは、実は日本ではなくブラジルだった。同僚だったウルグアイ人HECTORもアルゼンチン人RAFAELもイタリア人ROBERTOも、スケッチ力が抜群だった。情けない自分のスケッチを眺めて絶望を味わったものだ。
学生時代に図学演習を指導くださった曽根幸一先生が「芸大生は手で、東大生は口でデッサンする」と皮肉っていた(個人差の問題でもあり、今では違うかも!)が、ブラジルで我が身の弱点を実感したのだった。
建築の空間イメージを伝える手段としてスケッチの重要性を痛感し、GORDON CULLENのスケッチを模写して鍛えたのだった。現代はCADSKETCHIUPの時代らしいが、ライスペーパーに極太の6B鉛筆で描く空間に軍配があがると信ずる。


写真よりスケッチ

訪れる都市や建築の写真を撮り続けてきた。全てカラースライドに残し、講義にも出版にも重宝したのは事実だ。しかし、ある時ふと気がついた。シャッターを押し続けているのだが、肝心の対象物をあまり観ていないし、記憶もしていないということを。
その点、スケッチの場合はしっかりと観ているので、記憶にも確実に残る。何が手前にあり何が後ろにあるか。右の窓と左の窓はどちらが大きいか。隣の樹木との位置関係はどうか。スケッチ眼だとしっかりと観ているがカメラだと意外と観ていないのだ。
こうして、徐々に旅先ではスケッチを優先するようになったが如何せん時間がない。そこで数分で速写し、車中やホテルで、或いは帰国後に加筆したり着彩するようになった。誰かにお見せするのではなく記憶を補完する目的だから、未完成かつ不出来がほとんどなのだが、何年経ってもそのスケッチを見ると現地の情景がしっかりと蘇ってくるのが嬉しい。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する