■■■建築に生きる 第30回 首都機能移転■■■
2024.07.19
第30回 首都機能移転
首都機能移転
1996年10月30日国際シンポジウム「首都機能移転ーブラジリアの教訓」が開催された。1950年台に始まる遷都論や分都論は90年の「国会等の移転に関する決議」で衆参両院が一気に舵を切ったやに見えた。国土庁大都市圏整備局首都機能移転課がその任につき、上述国際シンポジウムもその一環で開催された。ブラジリアから知人専門家を呼び、戸沼幸市早稲田大学教授と大森雅夫課長(現岡山市長)が加わり私が進行役を務めた。その後移転論は加速し96年には国会等移転審議会が具体的移転先の選定審議を始める。栃木県那須地域など複数候補地は招致活動を展開したのだった。
2001年国土交通省設置後も国土計画局に首都機能移転企画課が置かれ情報提供を続けるが、2011年の政令で同課は廃止される。同年3月11日の東北地方太平洋沖地震で移転論は白紙になった。この間の国の施策の変遷がわかる多くの資料が手元にあるが、もはや死語と化した「首都機能移転」に複雑な思いが残る。
ブラジリアの今
首都機能移転と私を結ぶのは言うまでもなくブラジリアだ。都市デザインの授業で学んだブラジリアへの初訪問は1975年、以来毎年のように通い続けた。ルシオ・コスタともオスカー・ニーマイヤーとも直接お会いした。どちらかというと「世紀の失敗作」などと否定的に報道されていたこの未来都市から何を学ぶかという視点で日本メディアに情報発信を続けたのだった。
大阪万博ブラジル館コンペ審査に続き、昨2023年にも同市を訪問した。殺風景な原野に造られた人の住めない町と揶揄されたこの街は、都市史に新たなページを刻んだのだ。主目的の連邦国家三権の首都機能は充実し、外交・国軍の象徴機能も完璧だ。生活都市としては見事な樹林オアシスとなり、教育水準も治安も南米一だ。国を代表する工業・商業都市として人口300万(※)の大都市へと成長した。建国以来150年余続いた国家的議論の末に実現したブラジリア。日本の新首都も100年後には実現するかもしれない。
※コンペで有名な飛行機型に見えるあのマスタープラン地区(プラーノ・ピロット)は、ブラジリア連邦区(どの州にも属さない連邦直轄の独立区)の中に10近くもある行政区の中のひとつブラジリア市の、更にその中心部の一部に過ぎず、その計画人口は40万人でほぼ満杯。連邦区全体の人口は300万人を超える。
首都東京の未来
今世紀初頭「首都機能移転」が国会でもマスコミでも話題になっていた。国賓大統領を羽田から皇居に案内する度に、首都高速道路を封鎖しなければならない事が、首都機能不備の象徴であり、直下型地震に襲われたなら国の統治がままならぬ事が、新首都建設の理由とされた。
あのシンポジウムから30年、東京の首都としての当時の課題は何も解決していない。むしろ超高層ビルが数倍に増し、都心一局集中も加速し、最近多発する地震が不安を煽る。
歴史を紐解くと社会国家の大きな変動時に新しい「みやこ」を建設することが定番とわかる。東京の誕生を天正18年(1590)家康の江戸入とすれば434年、明治元年(1868)明治天皇入城とすれば156年が経過したことになる。そして今、東京の移転論は消えたが、世界的には新首都建設の流れは続く。SDGsの今日では開発イメージも変わった。首都を返上した都市のその後は、リオデジャネイロをみると好感できる。東京はどこへ向かうのだろうか?
記・南條洋雄
■第1回 建築を愛しなさい■第2回 建築家=指揮者
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい
■第27回 未知の国ブラジル
■第28回 気になる伊東屋
■第29回 JIA/IAB/UIA