■■■建築に生きる 第31回 建築家は車が好き■■■
2024.08.02
第31回 建築家は車が好き
建築家はジャガー
1971年RIA建築綜合研究所に就職した。建築家山口文象先生の事務所で大手町日本ビルディングの10階だった。残念ながら先生の仕事を直接お手伝いする機会は無かったが、真っ白なJAGUAR(運転手付)で出社される先生に憧れた。
20年以上経ったある日、逗子に帰る長島孝一さんのお車に同乗した。British greenのJAGUARだった。若い頃、パリ万博の日本館現場にて前川國男先生の現場に勤めていた頃に見た前川車がそれで、先生は当時その車を船で持ち帰ったとのこと。以来建築家の車はJAGUARなのだという。長島さんも同じJAGUARを愛車にしたのだ。山口先生は緑ではなく白のJAGUAR、にも合点。
宮脇壇さんも車がお好きだったようだ。KARMANN GHIA、MINI、BMW、JAGUARなどを乗り回し「還暦過ぎたら真っ赤なPORSCHE!」だったらしい。事務所資金に車売却が話題になったとき「車売ったら宮脇でなくなる」と言ったとか・・・風評だが。
我が車遍歴
1965年、18歳で運転免許を取得した。父がNISSAN BLUEBIRDの中古車を買ってくれた。当時の東大キャンパスは、駒場も本郷も車乗入れ放題だった。私の大学生活はオーケストラの部活動中心だったから、2台目のSUNNYが楽器運搬に活躍した。
TOYOTA MARK Ⅱ HARDTOPで飛騨高山から上高地あたりを新婚旅行ドライブしたのが1971年。ブラジルでは国産ワーゲンFUSCA、PASSAT、CHEVROLETのWAGON CARAVANと乗り継ぎ、広い国土を走りまくった。サンパウロ〜ブラジリア間1日移動1000kmも一人で運転した。
帰国した当時は車が建築家のステータスの時代だった。人とは違う車に拘りROVER STERLING、VITESSEと乗り継いだ。
そこで我が人生の車大作戦を決めることになる。満50歳の誕生日にブラジルのゲデス師匠の愛車ALFA ROMEO 164 を買う。満60歳の誕生日に山口文象師匠のJAGUARに乗る。忠実に実践した。満70歳は決めておらず、77歳の今、JAGUAR 17年目である。
建築家は歩く
気がつくと「車」に対する世の受け止め方が変わってきた。環境負荷への配慮が庶民の車への憧れを吹き飛ばし、SDGsが常識となった今、都会では歩くのが、そして走るのが格好良い。
一台の車を保有するコストも若者たちには説得力がない。とは言えカーライフ志向が消えた訳ではなく、エコカーや自動運転など、新しい話題も豊富である。レンタカー、カーシェアリングなど、新たな移動手段はいくらでもあるし、空飛ぶクルマが大阪万博のテーマだという。
建築家たちの車好きは根強いものがあるが、表舞台から車談義は遠のき、車遊びをひとりでひっそり楽しむ時代のようだ。
まちづくりの舞台でも、歩行者目線での快適さや歩く行動への空間デザインなどに建築家の見識が問われるご時世になった。車とヒトとの共存、路面電車の復活、各種ボード等の利活用などが表舞台となり、JAGUARで颯爽と登場する建築家像より、街中を歩く、走る建築家像の方が旬?になりつつあるようだ。
記・南條洋雄
■第1回 建築を愛しなさい■第2回 建築家=指揮者
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい
■第27回 未知の国ブラジル
■第28回 気になる伊東屋
■第29回 JIA/IAB/UIA
■第30回 首都機能移転