■■■建築に生きる 第27回 未知の国ブラジル■■■
2024.06.07
第27回 未知の国ブラジル
ブラキチ誕生
20歳の区切りで大田区立山王小学校旧6年5組のクラス会に三十数名が集まった。その中の一人、サンパウロから帰国したばかりという外国育ち風の女性が居た。妻である。
ブラジルは良い!と彼女はいう。日本が好況なら聞く耳持たなかったであろうが1975年第一次オイルショックで疲弊する日本を後にブラジルへ移住した私だった。
ジョアキム・ゲデスに迎え入れて貰えたことで私のブラジル贔屓は一気に加速した。反面、日本人でありながら現地の日系社会とはやや距離を置く生き様が、私の現地化に拍車をかけ、帰国後も頻繁に往き来する自称「ブラキチ」が誕生した。仲間から「どこで日本語を学んだのか?」と聞かれるほどに「郷に入った」のだった。
今回27回目のこのコラム「建築に生きる」でも毎回、私のブラジル体験を引用し、ブラジル視点を展開している。最近は妻とブラジル発祥のボッサ・ノーヴァのバンドを結成し楽しんでいる。
ひとくちで言えない国
会話が弾むと必ず聞かれるのが「ブラジルってどんな国?」と「なぜブラジルへ?」なのだが、一番答え難い質問だ。
国土は広大で熱帯から亜熱帯・温帯まで、湿地から砂漠まで、実に多様だし、おそらく世界で一番種類が多い人種の坩堝とも言われる稀有な国家だ。だから文化も実に多様であり、音楽で言えばアフリカ系サンバからポルトガル系ファドまで何でもあるし、日系人の多い街では盆踊りが定着している。
スペイン系諸国と違い、最初から白人と現地人(インディオ)との混血が進み、そこにアフリカ奴隷(黒人)が合わさり、近代では日本を含むアジア系も複雑に混じり合っているので、ブラジル人ってどんな?と聞かれても答えようがない。
かくして、私も最初から外国人と思われたことがない。生活初めて3年目に日本に一時帰国する際「祖先の国に行くのは楽しみだね!」と見送られた。なんとも、ひとことで表現しようのないのがブラジルだ。
遠くて近い国
昨年(2023)はドバイ経由、一昨年はボストン経由、毎回30時間ほどでサンパウロに辿り着く。2006年までVARIG、2010年までJALの直行便が就航していたが、ロスにて給油と全クルーが交代する過酷な旅であった。そう、それほど遠い国なのである。時差は12時間で昼夜が逆、南半球なので夏冬も逆。真夏のカーニバルは日本の極寒期2月に行われる。
1908(明治41)年初めての移民船笠戸丸が神戸港からサントス港へ781名の移民を運んだ。2008年日本人ブラジル移住100周年を迎え、今では日系人250万人が暮らす海外で最大の「小日本」ブラジルとなった。
近年はHONDAを世界に広めたF1ドライバーのアイルトン・セナや、日本サッカーの監督を務めたズィコなど多くのJリーガーたちが両国の距離を縮めた。群馬県大泉町や浜松市など多くのブラジル人が暮らす地域も増えた。
小生も1985年帰国後は頻繁に両国を往復し、建築文化を通して両国の文化交流を続けている。
記・南條洋雄
■第1回 建築を愛しなさい■第2回 建築家=指揮者
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい