■■■建築に生きる 第32回 ウェルシティ横須賀■■■

2024.08.16

第32回 ウェルシティ横須賀


ペリー・浦賀・安針

横須賀といえばペリー黒船来航、浦賀沖に黒煙あげて迫り来る教科書のあの絵を思い出す。その浦賀港の一角にある川間造船所跡地の開発計画(ヨットハーバー)に参加する機会を得た。以来、横須賀市域での様々な計画や設計を続けており、最近では市立中央こども園(すくすくかん)の設計監理を担当した。
横須賀は三浦半島の海に囲まれた急峻な地形と軍都としての歴史が特徴の街だ。観音崎灯台から房総はわずか6.5kmの至近で、江戸への玄関をわが目で実感できる。伊東、平戸と並び三浦按針ゆかりの地であり、安針塚に供養塔が置かれている。その辺り逸見町周辺には自衛隊基地、海上保安庁、そして米軍基地とそれらの関連施設が並び、まさに軍都横須賀の景観が歴史を刻んでいる。
米軍基地内にも何度か入ったが、車両は左側通行だが通貨はドルだし、日本のような過保護ルールではなく自己責任社会であり、日本の中の小アメリカ、そして空母ロナルド・レーガンの寄港地なのだ。


ヤード跡地特住総

横須賀線横須賀駅脇には広大な車両基地があった。その横須賀ヤード跡地は、特定住宅市街地総合整備促進事業の適用を受け、都市基盤整備公団(現UR都市機構)と神奈川県住宅供給公社が施行者となり1997年に工事着手し2000年に竣工した。
遡って1989年以降、浦賀地区の調査業務や川間造船所跡地開発の実績を評価していただき、横須賀市の計画策定の素案策定と委員会運営の担当コンサルタントを務めたのが1992年だったが、その後も施行者の計画策定基本設計実施設計許認可取得工事監理まで、全ての業務を担当することが叶ったのだった。
調査から竣工まで足掛け10年の壮大な計画を創業7年目の小さなアトリエ事務所が全ての発注業務を受託できたのは奇跡としか言いようがない。 思えば都市工学科に学び、都市を設計デザインする仕事を目標にしたのだが、計画段階から設計段階への移行時点で、役者が交代するのが日本の通常であったから、前代未聞の出来事だった。


ウェルシティ

計画とは「何を何処にどのように創るかを検討」することで、設計とは「決められた計画を具現化」する作業と言える。南條設計室は、計画策定業務を1992〜96年に、設計監理業務を96〜2000年に契約した。当時の正社員数は過去最多の25名に達し、丸3年間の工事監理期間中は正社員4名が現場に常駐した。
事業は公団施行の東街区と公社施行の西街区に別れ、其々を受注した。デザインコードを策定し、街全体の環境デザイン調整を行なった。公社街区は横須賀市施設(総合保健所、生涯学習センター等)を含み、住宅と市営施設群の複合建物だ。
2000年3月にグランドオープンしたこの街の愛称は、市民公募で「ウェルシティ横須賀」と決まった。集合住宅460戸、高齢者住宅150戸、ナーシングホーム59床の生涯対応の居住施設群と様々な市公益施設群を併せ持つ「複合生活都心」が誕生した。都市景観大賞100選にも選ばれ、南條設計室が目標とする「住宅から都市デザインへ」が実現した。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい
■第27回 未知の国ブラジル
■第28回 気になる伊東屋
■第29回 JIA/IAB/UIA
■第30回 首都機能移転
■第31回 建築家は車が好き