■■■建築に生きる 第33回 幕張ベイタウンパティオス■■■

2024.08.30

第33回 幕張ベイタウンパティオス


住宅で街をつくる

大学(都市工学科)の講義で、古代ギリシャ都市国家の公共広場(アゴラ)を中心とする公共建築物の空間論を学んだ。同じ頃、様々な民族の住居集落について学んだ。崇高な建築・都市原論が若い頭脳に強烈に刻み込まれたのだった。
やがて不足する庶民住宅をいかに量産するかが国家的課題となり、集合住宅やニュータウンの全盛期を迎える。いわゆる団地の時代である。
私も浦安や多摩ニュータウンなどの団地設計に関わったが、建築基準法が許容する最大ボリュームを競い合う時代でもあった。
一方、建築の世界ではバブル経済に支えられ、斬新なデザインの建築作品が次々と誕生していた。なのに我が国の都市はどんどん貧相な街へと退化していく。環境景観も見劣りするばかりだ。
理由はある。街の潤いや美しさは豪華な庁舎単独では得られない。街は住宅で埋め尽くされているのだから、その住宅の質が問われている。だから「住宅で街をつくる」のが良い。


ガイドライン

住宅で街をつくる」試みは1990年代から始まっていた。広島のA.CITY、福岡のNEXUS、南大沢のベルコリーヌなどマスター・アーキテクトが各街区や住棟の設計者たちのデザインを調整する試みだ。この動きの頂点となるのが、幕張新都心住宅地(幕張ベイタウン)計画だ。
当時、集合住宅設計の分野にも多くのデザイナーが登場したが、調和なきデザインが疑問視されていた。そんな中、1991年に策定された幕張ベイタウンの都市デザインガイドラインは注目に値する。
全ての建築物のデザインを都市デザイン視点で調整する仕組みとしてデザイン調整会議が置かれた。事業者はこの会議が指定する計画設計調整者の指導監督のもとで設計を進めなければならない。各設計者が自作模型を持ち込み、周辺との関係や景観デザイン形成が議論された。住宅でできた街の中で、個性を表現し、かつ全体の調和をも累積していく集合住宅設計のあり方を模索した社会実験である。


設計かデザインか

私は1991年から2010年まで幕張ベイタウンの事業グループMIC2001の設計者として超高層、高層そして中層の各街区を経験した。
集合住宅、とりわけ分譲住宅系の設計現場が揺れていることは本稿第5回でも触れた。幕張でも商品性、品質管理、申請業務、コストとの戦いなど、ある種の設計作業苦役が尽きなかった。そんな中、前述のデザイン調整会議やガイドラインの求める世界は優れた都市デザインの実践であり達成感で救われていた。
都市工学科に学んだ身として幕張ベイタウンでの経験は「住宅で街をつくる」実践であった。
設計の川上から川下まで、そして大手ゼネコン設計部や大手設計事務所との協働も経験した。従来の狭義の設計作業と広義のデザインワークの両方を経験できた。その結果「設計かデザインか」の二択があり得ることを知った。南條設計室は、従来通りの設計監理業務と新たなデザイン監修業務の両方を実践している。幕張での経験が大きい。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい
■第27回 未知の国ブラジル
■第28回 気になる伊東屋
■第29回 JIA/IAB/UIA
■第30回 首都機能移転
■第31回 建築家は車が好き
■第32回 ウェルシティ横須賀