■■■建築に生きる 第35回 代官山で建築する■■■

2024.09.27

第35回 代官山で建築する


東京イコール青山

1985年3月31日、10年間のブラジル生活を閉じ帰京した。行く時は夫婦二人だったがブラジル国籍の息子(LEO & VICTOR)との四人家族になっていた。在日ブラジル大使館のある青山アトリエを始めると決めていた。日本建築家協会(JIA)本部も青山にある。
最初に秘書を雇い、弁護士や会計士とも契約した。仕事もなく所員もいない南條設計室のキックオフだった。それがブラジル流には当たり前なのだが、日本の友人らは呆れていた。
期待したとおり青山の地は建築やデザイン活動には心強い土地柄であった。魅力的なお店や飲食店も多くイタリアンパスタのハンターと今は無きビストロ水瓶屋には大変お世話になった。
気がつけばその青山の地で、南條設計室の代表作となる幕張ベイタウンウェルシティ横須賀などのプロジェクトを世に送り出すことができた。JIA本部に近いことで若年ながら協会の様々な活動にも参加し、先輩らにも恵まれた。青山万歳なのだ。


青山から代官山へ

青山は賃料も高い。ブラジル大使館から遠のくことに抵抗感はあったが、頻繁に訪問するモリモト本社が代官山にあったことがきっかけで代官山に移った。青山がデザインの聖地だと勝手に決めていたので「都落ち」気分であったが、移転を告げる度に「ご発展ですね!」と称賛された。
槇文彦先生のヒルサイドテラスの「あの代官山」に身を置くことになるとは想定外であったが、幸い定着することができた。正直言って代官山は居心地が良い。大きな施設も建物も無いが、成熟した住宅地とこぢんまりした店舗群やアートの香りが充満するヒューマンスケールな街だから。移り来て20年経過したが、年々この街は良い意味で繁盛していく。 「住宅から都市デザインへ」が南條設計室の目標であると再三述べているが、この地代官山は、住宅を考え、都市デザインを考えるには最高の街だと思う。槇文彦先生や元倉真琴さんらと街でばったりお会いすることがなくなったことが何よりも寂しい。


代官山でまちづくり

代官山ステキなまちづくり協議会(代スキ会)という組織があり私も会員である。代官山に暮らす様々なメンバーが地元のまちづくりに参加している。ヒルサイドテラスを運営する朝倉不動産が主宰する「クラブヒルサイド」の法人会員でもある。事務所から徒歩2分。貸切パーティしたり、図書室で静かに調べ物をしたり、と堪能している。A棟にあるパッションのフレンチは有名だが、系列のル・コントワール・オクシタンも良く利用する。樽から自分で注ぐワインはいかにも代官山っぽい。
週末は関東各地から人が集まってきて、代官山駅の狭いプラットホームが満杯で危険だ。インバウンドも急増した。スマホの自動翻訳でいきなり道を訊かれたりする。地方都市のシャッター通りのまちづくりに知恵を必要とするのだが、この代官山の活況がヒントになる。建築はその群としての存在が「美しい街」を形成し、そこに人々が魅せられて集まってくる。そんな都市デザインをこの代官山の地で続けていきたい。


記・南條洋雄

■第1回 建築を愛しなさい
■第2回 建築家=指揮者 
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい
■第27回 未知の国ブラジル
■第28回 気になる伊東屋
■第29回 JIA/IAB/UIA
■第30回 首都機能移転
■第31回 建築家は車が好き
■第32回 ウェルシティ横須賀
■第33回 幕張ベイタウンパティオス
■第34回 インドに注目