■■■建築に生きる 第38回 アメリカ建築と私■■■
2024.11.08
第38回 アメリカ建築と私
アメリカの叔母さん
戦後生まれ団塊の世代と言われる昭和22年生まれだ。叔母が日系アメリカ人と結婚しニュージャージー州に住んでおり、頻繁に小包を送ってくれていた。中にはHERSHEY’SのチョコやDISNEYの動画などが詰まっていて、都度歓喜したものだ。
小中高と教育はアメリカ一辺倒であったし、大学でも建築はアメリカに学べ!だった。私より前の世代だとコルビジェやバウハウスだったようだが。というわけで、私の建築修行は極端にアメリカ志向だった。NJ州の叔母の家に何度もお世話になり、豊かなアメリカを庶民の生活目線で感じることができた。
多くの仲間がアメリカに留学する時代だった。私も留学するのが当然と思っていたが、70年安保の大学闘争にハマっていたので国内を優先した。卒業、就職、結婚へと船出し、米国の就労ビザ取得が困難な現実を知り、一気にブラジル国への移住、そして正規の就労へと私の人生は向かった。
それまで一辺倒だったアメリカ建築への憧れはブラジルで急変した。
ハーバード
1974年HARVARD大学を訪問し、正門前にたつグロピウス事務所TACを突撃訪問し、グロピウスの部屋を見せてもらった。山口文象先生がベルリンにて勤務したあのグロピウス(元バウハウス校長)だ。話変わるが1997年にリオにてルシオ・コスタと槇文彦先生との対談を通訳したとき、ご両人が恩師José Lluís Sertの話で盛り上がった。建築とHARVARDとは切り離せない。
あれ以降、アメリカの各都市を訪れ、あこがれのアメリカ建築を片っ端から見て回った。敢えて、私のアメリカ建築ベスト3をあげてみよう。
トップは迷いなくカーンのソーク研究所だ。若干25歳で竣工8年のソークを詳細に体験したことで、私の建築家人生は確定したのだから。
ケヴィン・ローチのオークランド博物館も屋上庭園と地下に展開する発想力に当時は強く影響された建物で何度も再訪している。
アメリカらしさの象徴ジョン・ポートマンのハイアットも敢えてあげておこう。当時の日本からみると衝撃的であったことは事実だ。
ラスベガス
ブラジルはアンチアメリカでラテン文化の国である。気がつくとアメリカ一辺倒の自分が大きく舵を切っていた。建築はイタリアだよ!と。
フランス語は少々手強いが、イタリアもスペインも、そして当然ポルトガルはブラジルからすると祖先のゆかりの地だ。
そんな中、90年代にラスベガスを訪れた。日本もバブル期だったから、ディズニーを筆頭に数々のウオーターフロント開発など、アメリカ型都市開発やエンターテイメントのコピーが横行していた時代である。
2020年代の今日では多様な価値観が注目される時代だが、当時はある種ラスベガス的な盛り上がりが注目されていた。そして善悪ではなく純粋にラスベガスは「アメリカ的」だ。正直滞在するのは楽しいし魅力的ですらある。周りのあの荒涼な風土をみると人間の目論みに頷ける。ただし日本の国土にあれは馴染むまい。大阪万博も跡地のIR整備も全く受け入れ難い。アメリカ建築に魅了され多くを学び、そして開眼した私だ。
記・南條洋雄
■第1回 建築を愛しなさい■第2回 建築家=指揮者
■第3回 小さな村の物語
■第4回 建築家という職能
■第5回 デザイン監修論
■第6回 まちづくりに参加する
■第7回 リノベーション最前線
■第8回 住宅が建築の原点
■第9回 美しい国づくり
■第10回 美しい職場・楽しい職場
■第11回 建築家は芸術家か
■第12回 建築家も地震と戦う
■第13回 建築家は旅をする
■第14回 マンションと呼ばないで!
■第15回 建築家という生業
■第16回 建築と神事
■第17回 建築家は外交官
■第18回 正月の警鐘
■第19回 協働・自働・己働
■第20回 建築家は二兎を追う
■第21回 コンペという魔物
■第22回 ボランティア考
■第23回 リゾートを建築する
■第24回 スケッチは楽しい
■第25回 音楽は楽しい
■第26回 木とのつきあい
■第27回 未知の国ブラジル
■第28回 気になる伊東屋
■第29回 JIA/IAB/UIA
■第30回 首都機能移転
■第31回 建築家は車が好き
■第32回 ウェルシティ横須賀
■第33回 幕張ベイタウンパティオス
■第34回 インドに注目
■第35回 代官山で建築する
■第36回 建築家会館
■第37回 田園調布